「品種改良によって、数十年以内に収量を倍にしなくてはいけない」コーネル大学・タンクスレー名誉教授が語るゲノム革命最前線 前編
スティーブン・タンクスレー Steven D. Tanksley(写真右)
コーネル大学名誉教授
1954年生まれ。米国出身。1979年、カリフォルニア大学デービス校博士課程終了、Ph.D取得。2010年、コーネル大学統合植物科学部名誉教授。
「第32回Japan Prize(日本国際賞)」の授賞式が4月20日、天皇、皇后両陛下を迎え、東京国際フォーラムにて開催された。日本国際賞とは、「国際社会への恩返しの意味で日本にノーベル賞並みの世界的な賞を作ってはどうか」との政府の構想に、松下幸之助氏が寄付をもって応え、1985年にはじまった国際賞。
今回は、コーネル大学名誉教授・スティーブン・タンクスレー博士に賞が授与された。授賞業績は、「ゲノム解析手法の開発を通じた近代作物育種への貢献」。経験と勘に頼っていた農作物の品種改良を科学に高め、1980年代以降のゲノム解析技術開発をリードし続けた。ゲノム解析による作物の染色体地図の作成、生産性に関連した遺伝子の同定等、品種改良に役立つ手法を開発し、作物の計画的育種、かかる時間の短縮に大きく貢献した。
前編・中編・後編に分けて、タンクスレー博士へのインタビュー内容をお届けする。
1980年代、人間は初めてDNAを直接「見る」ことが可能になった
アグリフード編集部・石田渡(以下、石田) タンクスレー博士は、1980年代、トマトやイネの染色体地図の作成に成功されたんですよね。そもそも染色体地図というのは?
Steven D.Tanksley(以下、タンクスレー教授) 私が研究しているのは「品種改良」とか「植物育種」と呼ばれたりする領域になります。人類は、優れた特性をもった植物を選んで、それを栽培するということを何千年にもわたってやってきました。ただ、昔は表面的な性質しか見ることが出来ず、遺伝子がどう関係しているかまで見ることが出来なかったんですね。品種改良にはとても時間がかかっていた。
ところが1980年代になって、新しく「染色体地図」という考え方が出てきました。「収量が多い」「早く花が咲く」とかの特性と、どの遺伝子が関係しているのかを明らかにしよう、という考えです。で、それが突破口的な、大きな技術的な進歩になったんです。
石田 なるほど。
タンクスレー教授 ただ、それをやろうとするには、まず染色体の地図を描かなければいけない。染色体のどこにどんな遺伝子があるのか知らなければならない。ということで、1980年頃大学院生だった私は、植物についての最初の地図の作成を行ったんですが、当時の技術は原始的なものだったので、すぐに完全なものはなかなか出来なかった。
石田 ブレイクスルーが起こったきっかけは何だったんですか?
タンクスレー教授 とても良い質問ですね。80年代以前にも染色体地図という考え方はあったのですが、限定的な地図しか作成することが出来ず、完全な地図をつくる技術がなかった。技術はなかったんだけれども、限定的な地図は作成することができていたので、完全な地図がかけたらどうなるだろうとみんなだんだん想像するようになっていったんですね。
で、80年代に入ってようやく「制限酵素」のような技術が手に入って、初めて完全な地図が作られ始めるようになりました。そうすると、今度はそれを使ってどういう品種改良ができるようになるだろうといろんな人が考えるようになっていった。
テクノロジーと、それを使って何が出来るかというみんなの想像力が、この分野を前に進めてきたんです。
石田 「制限酵素」というのは、どんな技術なんですか?
タンクスレー教授 制限酵素というのは、DNAを人間が直接見ることを可能にした初めてのテクノロジーだと言えると思います。染色体の内、ある決まった塩基配列を認識する酵素なんです。
ご存知の通り、遺伝子というのは「A」「T」「G」「C」という4つの塩基から成り立っています。「制限酵素」というのはある配列のところで染色体を切断をしていくんですが、切断された配列を見るともとの染色体の地図をかけるんです。そこで初めてDNAの地図というのを作成することが出来るようになりました。
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中編では、1980年代〜今に至るまで品種改良の世界がどう変わってきたのか伺っていきます。4月29日(金)公開予定!